#11 いざ全国展開へ!

細い糸をたどるようにして、一つずつ進めていった製品化への道。愛知・台湾・長野を何十回も往復し、あとは、すべてを自社で組み立てるのみ、というところまでこぎ着けた。

最後の加工と組み立てをするために、中古のプレス機を28台購入し、木材倉庫を片付けて据え付けた。

「そんなにたくさん機械を買って、どうするつもりなんだ」

どこの企業も設備投資を控えるなかで、周りから奇妙な目で見られながらも、平成11年1月、なんとか加工ラインが完成した。材料のアルミ、プラスチック、合金などが入荷し始め、3人体制での加工・組み立て作業が始まった。

平成11年3月、形状記憶合金の通気口、製品第一号がついに完成した。

このときすでに、実験開始から1年8ヶ月がたっていた。ここまでに費やした開発資金は3億2千万円。すでに会社の年商とほぼ同額の開発コストが費やされていた。厳しい資金繰り。ギリギリのなかで、ようやくこぎ着けた製品化だった。

「ここまできたら引くに引けない」

寺島の目の前にあるのは、WB工法を信じて進む一本道だけだった。

実は、製品化を進めるのと同時進行で、寺島は全国展開への準備を進めていた。

平成10年12月、信州大学と産学共同研究の契約を結んだ。WB工法で建てた住宅20棟を無作為に選び、温熱環境と空気環境について1年に亘る実測調査を始めた。

「このデータが全国展開するうえでは何よりの証拠になるにちがいない」寺島はそう考えていた。この実測調査でWB工法の性能の高さが証明されるのだが、一方で、日本の住宅業界の暗部を露呈する形で、寺島に大きな影響を与えることになっていく。

「通気断熱WB工法」のVC(ボランタリーチェーン)としての全国展開、お膝元の長野から始まった。大工さん工務店さんを招いての説明会は、1回目、2回目は30人ほどだったが3回目で120人となり、3ヶ月で37社が会員契約を結んでくれた。

そのときの寺島にあったのは「間違ってしまった日本の住宅建築を根本から正さなくては」という使命感と、「ここまで協力してくれた人たちに報いたい」という気持ちだった。

引用:https://www.wb-house.jp/wb/story